昭和7年(1932年) 23歳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 02:05 UTC 版)
「中島栄次郎」の記事における「昭和7年(1932年) 23歳」の解説
3月、大阪高等学校の同級生を中心に文芸雑誌『コギト』を創刊。誌名はデカルトの"cogito, ergo sum"(我思う、ゆえに我あり)から付けられた。保田与重郎は第一号の編集後記に、「私らは『コギト』を愛する。私らは最も深く古典を愛する。私らはこの国の省みられぬ古典を殻として愛する。それから殻を破る意志を愛する」と創刊の辞を記した。中島栄次郎ははじめ沖崎猷之介の筆名を用い、第16号(昭和8年9月号)以後は本名で主に評論を、また詩、小説を発表した。
※この「昭和7年(1932年) 23歳」の解説は、「中島栄次郎」の解説の一部です。
「昭和7年(1932年) 23歳」を含む「中島栄次郎」の記事については、「中島栄次郎」の概要を参照ください。
- 昭和7年 23歳のページへのリンク