明臨答夫とは? わかりやすく解説

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明臨答夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/20 08:36 UTC 版)

明臨答夫(めいりんとうふ、67年? - 179年)は、高句麗次大王新大王時代の官僚。椽那部の皁衣(そうい、高句麗官位のひとつ)として『三国史記』に現れ、165年10月、暴虐の次大王を弑逆した。新大王の2年(166年)、高句麗の初代国相[1]に取り立てられ、沛者(はいしゃ、ペジャ)の爵位と内外の統帥権、梁貊部落(渾江の西部流域)の支配権とを与えられた。


  1. ^ 『三国史記』新大王本紀2年条の明臨答夫への昇進記事に続けて、「改左右輔爲國相始於此」と記されている。左輔・右輔は、大武神王代に始まる最高位の官爵。


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