明善堂(めいぜんどう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:49 UTC 版)
外郭の南に存在した藩校。大手門のすぐ北西側に存在した。第8代久留米藩主有馬頼貴が1783年(天明3年)に学問所(藩校)を開いたのが始まりである。1787年(天明7年)には「修道館」と名付けられたが、1794年(寛政6年)に焼失した。1796年(寛政8年)、藩校を再建し新たに「明善堂」と名付けられた。以後、今日の福岡県立明善高等学校に至っている。幕末の勤王家・真木保臣は当藩校の出身である。
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