旧藤田家住宅(旧所在 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町)
名称: | 旧藤田家住宅(旧所在 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町) |
ふりがな: | きゅうふじたけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1883 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1973.02.23(昭和48.02.23) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 宮崎県 |
都道府県: | 宮崎県宮崎市神宮2-4-4 |
所有者名: | 宮崎県 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行11.6m、梁間7.8m、寄棟造、茅葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 天明7頃(1787頃) |
解説文: | 山村の農家。 復原すると現在の家とはがらりと変って、土間のない二室の簡單な間取りになる。 九州中南部では古く、 この地方の民家の古い形式を知る有力な手がかりとなる資料的価値が高い。 |
太宰治まなびの家
(旧藤田家住宅 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 15:58 UTC 版)
太宰治まなびの家(だざいおさむまなびのいえ)は、青森県弘前市大字御幸町9-35にある日本家屋で、太宰治が旧制弘前高校在学時の3年間(1927年4月 - 1930年3月)を過ごした住宅(旧藤田家住宅)である[1]。後年、「太宰治まなびの家」として公開された。弘前市指定有形文化財[1]。藤田家は太宰の実家である津島家の親戚筋にあたる[1]。
- ^ a b c d e “太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)”. 弘前市(市の施設・各種施設). 2021年11月7日閲覧。
- ^ a b “旧藤田家住宅(太宰治学生時代の下宿)”. 弘前市(弘前市の文化財). 2021年11月7日閲覧。
- ^ a b c d “太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)”. 太宰ミュージアム. 2021年11月7日閲覧。
- ^ “三鷹市 - 太宰治と三鷹”. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “太宰ミュージアム - 太宰治の生涯~略年譜”. 2021年11月14日閲覧。
- ^ 奥野健男『太宰治論』1984年6月1日(新潮文庫)
- 1 太宰治まなびの家とは
- 2 太宰治まなびの家の概要
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