日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車
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日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車(にほんりくぐんてつどうれんたいEがたじょうききかんしゃ)は、かつて日本陸軍鉄道連隊に所属していた蒸気機関車である。
- ^ メーカー製造番号9521 - 9545。
- ^ メーカー製造番号11071 - 11076。
- ^ 本形式製造の時点では、かつて販売・製造などで複数に分社していたコッペル社は合同してオーレンシュタイン・ウント・コッペル-アルトゥル・コッペル社となっていた。
- ^ 水面の傾斜の関係で空焚きになって溶栓を溶かしてしまう恐れがあり、55‰以上の勾配での双合状態での運転は禁止された。
- ^ 1両で双合機関車1組の1.5倍の出力を発揮した。
- ^ ドイツ陸軍向けとしては、双合機関車の次に設計されたD形の旅団機関車(Brigadelokomotive:75PS級)が出力不足と判断されたことから、1917年から1918年にかけてオーレンシュタイン・ウント・コッペル-アルトゥル・コッペル、ボルジッヒ、ベルリン機械製造(BMAG)、J.A.マッファイの4社で90PS級のE形機関車の競争試作が行われた。評価試験の結果、オーレンシュタイン・ウント・コッペル-アルトゥル・コッペルとBMAGの設計案が採用され、2社で別設計のまま平行して生産された。当然ながら、本形式はそのうちのオーレンシュタイン・ウント・コッペル-アルトゥル・コッペル社の設計に従っている。
- ^ ピンを植えたボール状の部品を用いる、特殊な構造の自在継ぎ手を内蔵する大歯車を第2・4動軸に取り付け、ここから平ギアで第1・5動軸に動力を伝達した。この自在継ぎ手の介在により、第1・5動軸の遊動を許容する構造であった。
- ^ この方式は左右の首振り状態から中心位置への復元にバネを用いるが、バネ圧を強くしすぎると曲線通過時に線路にかかる側圧が大きくなりすぎてフランジ磨耗や軌道負担が過大となり、逆に弱くすると第1・5動軸の軸重抜けが発生しやすくなるという問題があって、通常は軌道負担力を考慮して復元力を弱く設定していたため、軸重抜けが不可避であった。
- ^ 1939年に20両を改造している記録がのこっているが、前年に10両が関東軍に特別支給されており原型のままであったと考えられる。『鉄道聯隊の軽便機関車 上』35頁
- ^ 終戦直前に、同地に侵攻したソビエト連邦軍が「戦利品」として強奪したと推測されている。
- ^ フランクフルト軽便鉄道博物館(Frankfurter Feldbahnmuseum e.V.)。公式サイトはこちら。
- 1 日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車とは
- 2 日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車の概要
- 3 脚注
- 日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車のページへのリンク