日向氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/30 04:01 UTC 版)
日向氏(ひなたうじ)は、甲斐国巨摩郡村山郷(山梨県北杜市)を本拠とした在地勢力。戦国時代には国人領主で、甲斐武田氏の家臣団に加わる。
注釈
- ^ 時宗は宗祖一遍が伴野荘において踊念仏を開始しており、開祖由縁の地として歴代遊行上人の巡錫(じゅんしゃく)地となっている。
- ^ 武田氏は相模国の後北条氏との甲相同盟に基づいて協調し西上野侵攻を行っており、永禄6年10月頃には武田方の真田幸綱(幸隆)が岩櫃城を攻略している。永禄8年には信玄自ら出陣し箕輪城を攻めている。西上野侵攻については、柴辻俊六「武田信玄の関東経略と西上野支配」『戦国大名武田氏領地の支配構造』[要文献特定詳細情報]を参照。
- ^ 現存する奉納記は一部であり、そのうちに虎頭の名は見られないが、『甲斐国志』の記載と現存する奉納記の奉納者は一致しており、虎頭も奉納者の一人であったと考えられている。奉納記については(佐藤 1992, §. 『駿州大宮神馬奉納記』について)を参照。
- ^ 武田氏は天文23年に下伊那郡を征圧し、大島城は永禄3年段階で在地氏族に預けられていたが、元亀2年(1571年)には秋山虎繁(信友)による改修が行われ、飯田城と並び織田・徳川勢力への重要拠点となっている。秋山虎繁は大島城改修後の元亀3年には信玄の西上作戦に従軍し美濃国岩村城城代となっており、虎頭が大島城番となった時期は元亀3年頃に想定されている。
- ^ 『甲乱記』では村山の地まで敗走し自害したという逸話を記している。
出典
- ^ 秋山 2002a, p. [要ページ番号].
- ^ a b c d 秋山 2002a.
- ^ a b c 丸島 2015, p. 587.
- ^ 服部 1993, p. [要ページ番号].
- ^ 柴辻 2000, §. 日向虎頭.
- ^ 秋山 2002b, §. 日向大和守とその一族.
- ^ 『高白斎記』
- ^ 山梨県 2001, p. [要ページ番号].
- ^ 『高白斎記』
- ^ 信濃史料 1958, p. [要ページ番号].
- ^ 「天文20年12月吉日源虎頭祈願文案」『諸州古文書』[10]。
- ^ 「東京大学史料編纂所所蔵弥富文書」『信濃史料』所載
- ^ 永禄8年推定11月12月付武田信玄文書『聴濤閣集古文書』
- ^ 『信長公記』による。
- ^ 信濃史料 1959.
- ^ 安養寺所蔵棟札銘写[15]。
- ^ 新津右京亮が大井忠重との戦いで戦死したのち、祖母の日向昌時娘に養育されて日向氏を名乗った、とも。
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