指導者になって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 17:42 UTC 版)
1968年(昭和43年)、日本レイヨン〔1969年(昭和44年)10月以降「ユニチカ」〕陸上競技部のコーチ(女子選手担当)に就任し、指導者としてのスタートを切る。1972年には同部監督に就任、1986年まで在籍した。以降、ワコール(1986年6月~1998年10月)、グローバリー(1999年3月~2005年11月)、シスメックス(2005年12月~2010年10月)の各陸上競技部監督を歴任。その間に指導する選手が400mからマラソンまでの全ての種目で日本記録を更新するなど、女子中長距離のレベルアップに貢献している。 1992年のバルセロナオリンピックには女子10000m、1996年のアトランタオリンピックには女子マラソンで、真木和を2大会連続で五輪に出場させた。さらに、2004年のアテネオリンピックでは、女子マラソンにおいて、野口みずきに五輪の金メダルを獲得させた。この快挙は、長年に亘る指導実績が結実したものであり、その指導力は高く評価されている。 2006年3月に、次世代の選手育成プロジェクトである「F・R・A 藤田ランニングアカデミー」を開始。2010年10月に、シスメックス女子陸上部の監督を副監督の広瀬永和に引き継ぎ、自らは顧問となる。2011年9月30日には、シスメックス女子陸上部顧問を退任。
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