房相一和
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房相一和(ぼうそういちわ)とは、天正5年(1577年)に締結された安房里見氏と相模北条氏との間の同盟。ただし、当時の呼称は「相房御和睦」であり、「房相一和」は後世の呼び方である。
- ^ 滝川恒昭「北条氏の房総侵攻と三船山合戦」(千葉城郭研究会 編『城郭と中世の東国』(高志書院、2005年)ISBN 978-4-86215-006-6)
- ^ 細田大樹「越相同盟崩壊後の房総里見氏-対甲斐武田氏「外交」の検討を通じて-」(佐藤博信 編『中世東国の政治と経済 中世東国論:6』(岩田書院、2016年) ISBN 978-4-86602-980-1)
- ^ 頼忠は父である正木時忠が一時北条氏に寝返った際に人質として小田原に送られたことがあり、妻は北条氏隆あるいは北条氏尭の娘であった。
- ^ 真里谷は現在の千葉県木更津市、高滝・池和田は同市原市にある。
- ^ 『千葉県の歴史』資料編 中世4(県外文書)P479「太田道誉資正書状写」(天正5年12月28日付)
- ^ 滝川恒昭「中世東国海上交通の限界・制約とその対策」(浅野晴樹・齋藤慎一 編『中世東国の世界 2南関東』(高志書店、2008年) ISBN 978-4-90664-182-6)
- ^ a b 細田大樹「北条氏康の房総侵攻とその制約」黒田基樹編 『北条氏康とその時代』 戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉、2021年7月。ISBN 978-4-86403-391-6 P332-337.
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