正木時忠とは? わかりやすく解説

正木時忠(まさき ときただ) 1520?~1576

八郎 左近大夫
◇父:正木通綱 子:正木時通平六郎時成、時勝、兵庫時秀、頼忠、玄蕃時富 養子正木憲時?
 安房里見氏臣。稲村の変時、両兄の不在に、里見義豊臣糟谷石見守攻撃を受けるが、わずか13歳にて正木能登守らと防戦石見守討ち取ったとか。ホンマかいな。兄時忠と共に各地転戦勝浦中心とする海賊衆掌握して有力な水軍の将となった1556年里見水軍指揮して三浦三崎にて相模北条水軍と戦う。1564年第2次国府台敗戦後、子頼忠を人質として北条氏配下に入る。後に再び里見氏帰順

正木時忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 07:10 UTC 版)

正木 時忠(まさき ときただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将安房正木氏の一族である勝浦正木氏の当主。正木通綱の三男。兄に正木時茂。子に正木時通正木頼忠など。左近大夫[1]


  1. ^ a b c 寛政重修諸家譜』856頁。
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』は天文2年(1533年)4月11日とする説を併記している。
  3. ^ 千野原 1992.
  4. ^ a b c d e 戦国人名辞典編集委員会, p. 892
  5. ^ 千野原 1986, p. 66-67.
  6. ^ 滝川 1995.
  7. ^ 滝川 1998.


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