後藤宗印とは? わかりやすく解説

後藤宗印

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 04:00 UTC 版)

後藤 宗印(ごとう そういん、天文14年(1545年)ごろ - 寛永4年11月24日1627年12月31日))は長崎町年寄を務めた人物[1][2][3][4][5]キリシタン朱印船貿易家でもあった。


  1. ^ a b c d e f g 「後藤宗印」『長崎県大百科事典』長崎新聞社、330頁
  2. ^ a b c d e f g h i j 「後藤宗印」『国史大辞典』4巻 吉川弘文館、915頁
  3. ^ 赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』講談社選書メチエ、36-37頁
  4. ^ a b 『長崎県の歴史』 山川出版社、146-147頁
  5. ^ 原田博二著『図説 長崎歴史散歩 大航海時代にひらかれた国際都市』河出書房新社、113-114頁
  6. ^ 周防山口、あるいは京都出身とも言われる。
  7. ^ 外山幹夫『長崎 歴史の旅』朝日新聞社、120頁
  8. ^ トメ、またはトマス、トーマスと読む。
  9. ^ 『長崎県の歴史』山川出版社、148-150頁
  10. ^ 慶長11年(1606年)6月12日付でブルネイの、同12年12月24日にシャムへ渡航するための朱印状を下された。
  11. ^ 『国史大辞典』4巻 吉川弘文館 「キリシタン版」 (同書437頁)。
  12. ^ 印刷所は長崎の酒屋町に置かれた。
  13. ^ 「ミゼリコルディア跡」『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』平凡社、130頁
  14. ^ 赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』講談社選書メチエ、49頁
  15. ^ 『長崎県の歴史』山川出版社、174頁
  16. ^ 五野井隆史著「長崎住民に対する迫害」『日本キリスト教史』吉川弘文館、215頁
  17. ^ 片桐一男著『出島 異文化交流の舞台』集英社新書、28-31頁


「後藤宗印」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「後藤宗印」の関連用語

後藤宗印のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



後藤宗印のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの後藤宗印 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS