後藤宗印
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後藤 宗印(ごとう そういん、天文14年(1545年)ごろ - 寛永4年11月24日(1627年12月31日))は長崎の町年寄を務めた人物[1][2][3][4][5]。キリシタンで朱印船貿易家でもあった。
- ^ a b c d e f g 「後藤宗印」『長崎県大百科事典』長崎新聞社、330頁
- ^ a b c d e f g h i j 「後藤宗印」『国史大辞典』4巻 吉川弘文館、915頁
- ^ 赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』講談社選書メチエ、36-37頁
- ^ a b 『長崎県の歴史』 山川出版社、146-147頁
- ^ 原田博二著『図説 長崎歴史散歩 大航海時代にひらかれた国際都市』河出書房新社、113-114頁
- ^ 周防山口、あるいは京都出身とも言われる。
- ^ 外山幹夫『長崎 歴史の旅』朝日新聞社、120頁
- ^ トメ、またはトマス、トーマスと読む。
- ^ 『長崎県の歴史』山川出版社、148-150頁
- ^ 慶長11年(1606年)6月12日付でブルネイの、同12年12月24日にシャムへ渡航するための朱印状を下された。
- ^ 『国史大辞典』4巻 吉川弘文館 「キリシタン版」 (同書437頁)。
- ^ 印刷所は長崎の酒屋町に置かれた。
- ^ 「ミゼリコルディア跡」『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』平凡社、130頁
- ^ 赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』講談社選書メチエ、49頁
- ^ 『長崎県の歴史』山川出版社、174頁
- ^ 五野井隆史著「長崎住民に対する迫害」『日本キリスト教史』吉川弘文館、215頁
- ^ 片桐一男著『出島 異文化交流の舞台』集英社新書、28-31頁
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