延吉捕虜収容所
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延吉捕虜収容所(えんきつほりょしゅうようじょ)は、第二次世界大戦後の数年間、現在の中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州の州都・延吉にあった日本人の捕虜を収容した捕虜収容所である。満州東部や朝鮮半島から多くの日本人捕虜が集められ、その後、ソビエト連邦へ送られた。1946年4月のソ連軍の撤退後は東北民主連軍(後に中国人民解放軍へ発展)が管理した。
- ^ a b 早蕨庸夫(著)『延吉捕虜収容所』(大門出版、1988年)
- ^ a b 森田芳夫(著)『朝鮮終戦の記録 米ソ両軍の進駐と日本人の引揚』(巌南堂書店、1964年)
- ^ 武安素彦(著)『幻の間島省―ある日系官吏の記録』 (1983年)
- ^ 藤原てい(著)『流れる星は生きている―愛は死を越えて』(青春出版社、1971年)
- ^ 森田芳夫(著)『朝鮮終戦の記録 米ソ両軍の進駐と日本人の引揚』(巌南堂書店、1964年)
- ^ 延辺科学技術大学 世界に向かう国際大学へ邁進 同胞トゥデイ(2014年9月5日)
- ^ “‘죽음’ 위에 핀 ‘생명’의 교육기관…옌벤과기대”. inews24. 2018年11月10日閲覧。
- ^ 太田正(著)『満州に残留を命ず』(草思社、1984年7月)
- ^ 夕映え. 山陽新聞社. (1994年6月)
- ^ 今枝善也「朱学海さん一家」『されど、わが満洲』(文藝春秋・1984年3月)
- ^ 藤原雅英(著)『果てしなき山河に―終焉と黎明の鮮中ソ国境を行く』(1977年)
- ^ 藤原咲子 (2014年12月19日). チャキの償い―新田次郎、藤原ていの娘に生まれて. 山と渓谷社
- ^ 沢田四郎作先生を偲ぶ会 (1972). 澤田四郎作博士記念文集
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