廃校後の主な動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:04 UTC 版)
「福岡県立山田高等学校」の記事における「廃校後の主な動き」の解説
旧・山田市のエリアである嘉麻市山田地区は本校の廃校後も中高一貫教育導入への望みを捨てておらず、中高一貫教育導入をPRする立て看板も一部の語句が変更された上で現存している[要出典]。 本校の閉校に伴い、嘉麻市嘉穂バスの山田高校バス停が撤去された ものの、路線自体は現在も存続している。 「支援組織について」の節で紹介されていた(財)古峰会寄贈のサッカー部専用マイクロバスは本校の統廃合先である嘉穂総合高校に引き取られたが、閉校からしばらくの間はバスの車体に「福岡県立山田高校サッカー部」と表記されていた[要出典]。 閉校時に「黎明・躍動期」、「飛躍・発展期」、「怒涛・終焉期」と時代別に分けられた写真入りの校碑が本校の敷地内に三基建てられたが、一般公開はされていない[要出典]。 本校の閉校により正門にあった校名入りプレートも業者によって外されたが、これに関しては「外した」というよりも「もぎ取られた」という表現のほうが当てはまるほどプレート跡の処理が杜撰そのものであり、本校OBや地元住民が憤りを感じている[要出典]。 本校と同時期に閉校となった嘉穂工業高校と福岡県立嘉穂中央高等学校の同窓会は統廃合先である嘉穂総合高校の同窓会の一部 となったが、本校の同窓会に関しては「福岡県立山田高等学校同窓会」として現存している。 本校の統廃合先である嘉穂総合高校は2008年度(平成20年度)より嘉穂郡桂川町へ移転した。 「ホタル祭り」は本校の閉校に伴い一旦中止となっていたが、2008年(平成20年)に復活した。
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