たいら‐の‐たかもち〔たひら‐〕【平高望】
平高望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 08:43 UTC 版)
平 高望(たいら の たかもち)は、平安時代中期の賜姓皇族。高望王とも。桓武天皇の孫[注釈 4](もしくは曾孫)にあたり、高望王流桓武平氏の祖。官位は従五位下・正親正・上総介。
注釈
- ^ 生年月日は、延暦25年/大同元年(806年)[1]と、承和6年9月7日(839年10月21日)[2]と、嘉承3年(850年)2月18日[3]とする資料がある。
- ^ 没年月日は、延喜11年5月24日(911年6月28日)[2]と、延喜11年(911年)5月4日[4]、延喜12年(912年)9月24日[5]、延喜17年(917年)1月24日[3]とする資料がある。
- ^ 『尊卑分脈』の高望の系譜に混乱が見られることもあって、諸説が混在し議論の一致は見られていない。
- ^ 『将門記』には、「天國押撥御宇柏原天皇五代ノ苗裔、三世高望王(桓武天皇の孫の高望王)」とある[6]。
- ^ 父は高見王(葛原親王の子)との説と、葛原親王(桓武天皇第 5皇子)との説がある。『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、続群書類従所収の『桓武平氏系図』等の各種系図では高見王の子となっているが、高見王の実在には疑問が提示されている。
- ^ 『国司補任』は、任上総介を「寛平元年5月12日(神皇正統録・源平盛衰記)、(平家勘文禄では寛平2年)」としている[7]。
- ^ 貞観3年(861年)に高望王は清和天皇の勅命で平朝臣を賜与され臣籍降下したとする[1]。
出典
[続きの解説]
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