干将莫邪とは? わかりやすく解説

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干将莫邪

読み方:カンショウバクヤ(kanshoubakuya)

初演 正徳2.1(大坂嵐三十郎座)


干将・莫耶

(干将莫邪 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 07:33 UTC 版)

干将・莫耶(かんしょう・ばくや、干将は本来干將、莫耶は鏌鋣とも)は、中国における名、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については呉王の命で雌雄二ふりの宝剣を作り、干将に陽剣(雄剣)、莫耶に陰剣(雌剣)と名付けたという。〈(この陰陽陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない)。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(『呉越春秋』による)。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣(鋳造によって作成された剣)である。人の干将・莫耶については、干将はの人物であり欧冶子と同門であったとされる(『呉越春秋』による)。


  1. ^ 具体的には『呉越春秋』闔閭内伝、『捜神記』巻十一、『拾遺記』、『列異伝』、『博物志中国語版』といったもの。『史記』や『荀子』にも名前程度の記述がある。
  2. ^ とも春秋時代の中国南部に存在した国であり、当時のこの地域、特に東南部は優れた金属の精製技術を持っていた。20世紀半ばに出土した越王勾践の剣などが、それを証明している。ただしこの剣は青銅製である。
  3. ^ 写本によってはこの部分が「兵部卿宮薨御事」となっており、干将莫耶に言及されている部分が無いものもある(たとえば流布本がそれにあたる)。
  4. ^ これは『晋書』巻三十六列伝第六にある張華伝における話が基としてある。ただし『晋書』では発掘した雷煥が、その一振りを張華に渡した、となっており、皇帝献上云々は一切ない。また、剣には龍泉 太阿と刻まれていたとされる(どちらも『越絶書』において、干将と欧冶子の作とされる剣で、もう1本「工布」を加えて3振りとする)。その後、張華が剣文を詳しく見るとこれは干将である、とした。また、延平津における話は張華が誅殺された後の話であり、人を潜らせて探させたが剣は見えず、龍が二匹見えるだけだったとする。
  5. ^ 海音寺潮五郎『孫子』「干将・莫耶」の節など。なお海音寺は『呉越春秋』の記事を「莫耶が身を清め炉中に自身を投じた」としながらも、記事前段「昔吾師作冶,金鐵之類不銷,夫妻倶入冶爐中,然後成物。」から、妻が鍛冶場に入った理由は、陰陽のまじないのため夫婦の交わりをおこなうためであり、莫耶が自身を犠牲にしたという解釈は『呉越春秋』著者 趙曄のフィクションではないか、という解釈を採っている。


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