川田晴久
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川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)、本名:岡村 郁二郎、1907年〈明治40年〉3月15日 - 1957年〈昭和32年〉6月21日)は、昭和期を代表する日本の俳優、歌手、コメディアン、ボードビリアン。いわゆるボーイズものの創始者である。灘康次を始め、多くの弟子を育てたことでも知られる。また、美空ひばりの「師匠」または「芸能界の育ての親」としても、近年、再評価が為されている。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。
- ^ 1939年前後は、特に前線の兵隊を中心に浪花節の人気が高く、広沢虎造自身の映画出演も増えており、流行歌においても「吉良の仁吉」「旅姿三人男」「浪花節と兵隊」「石松旅だより」といった明らかに虎造節を意識した作品のヒットが多かった。
- ^ 新興が吉本から人気者引き抜き『大阪毎日新聞』(昭和14年3月31日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 吉本側、泥仕合い休止表明『東京日日新聞』(昭和14年4月5日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 俳優・仲代達矢の叔父
- ^ 近代映画特別編集「こんな話を知っていますか? ナンセンス歌謡」『なつかしのレコード・ジャケット・コレクション』近代映画社、1989年、ページ数(ノンブル)表記なし。ISBN 4-7648-1622-9
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