川上村の伝説に現れる小倉宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 15:05 UTC 版)
「後南朝」の記事における「川上村の伝説に現れる小倉宮」の解説
実仁親王 小倉宮恒敦や聖承を擬せられている。 天基親王 二宮(円満院宮)と共に禁闕の変に参加したが比叡山で討死した。 円満院宮 禁闕の変の際、神器を持って比叡山から逃れ、吉野の三ノ公に隠れ住んだのち紀伊に趣き討死した。還俗後は義有王と名乗った。 尊義親王 別名は空因親王。孤海和尚の弟子となり万寿寺に入ったが、禁闕の変の際に還俗し尊義親王と名乗り、近江国甲賀郡に流れた。そこで民家の女・山邨姫を妻とし、二王子(自天王・忠義王)をもうけた後に父子3人で三ノ公に隠れ、そこで亡くなった。 自天王 尊義親王死後に、神器を帯し本沢川の上流・御座どころを経由して北山に移った。 忠義王 尊義親王死後に神之谷に移った。
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