川上久朗とは? わかりやすく解説

川上久朗(かわかみ ひさあき) 1536~1568

源三郎 左近将監
◇父:川上忠克 子:川上久辰
 薩摩島津氏重臣島津勇将一人。兄忠頼死後当主となる。18歳にして当主義久から守護代に任ぜられようとした程の才幹の士。太刀長刀鎌槍自由自在に使いこなした剛将であったという。堂ヶ崎の合戦において、多勢に無勢大隅刈氏らの軍に向かおうとする島津忠平(義弘)を諫める聞き入れられなかった。結果島津軍敗走し、久朗は重傷負い亡くなった

川上久朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:14 UTC 版)

川上 久朗(かわかみ ひさあき)は、戦国時代武将島津氏の家臣。


  1. ^ 現・鹿児島県鹿児島市谷山。


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