岡山外科学会での報告と日本医事新報への論文掲載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 16:51 UTC 版)
「綿ふき病」の記事における「岡山外科学会での報告と日本医事新報への論文掲載」の解説
綿の排出が作為的なものでないと確信した田尻は、N農婦の診察開始から約2年が経過した1959年(昭和34年)5月、母校である岡山大学医学部の岡山外科会(現日本臨床外科学会岡山県支部会)へ一連の報告を行い、翌1960年(昭和35年)2月の『日本医事新報』第1869号に多量の綿を産出する奇異な慢性肉芽性炎例についてと題した論文を発表する。こうして「綿ふき病」とされる奇異な症例が、医学部関係者らを通じマスコミなど外部一般に知られることになった。
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