山田忍とは? わかりやすく解説

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山田忍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/10 22:05 UTC 版)

山田 忍(やまだ しのぶ、1903年明治36年)10月23日 - 1996年平成8年)5月18日[1])は、日本農学者地方公務員学位は、農学博士北海道大学)・理学博士(北海道大学)。専修大学北海道短期大学学長を務め、専修大学北海道短期大学の基盤創出に尽力した[2]札幌市生まれ

来歴

1927年昭和2年)、北海道帝国大学農学部農芸化学科を卒業し、北海道庁に入庁。農産部農芸化学科長、北海道農事試験場根室支場長を経て、同中標津拓殖実習場長となる。1947年北海道庁を退官する。帯広農業専門学校教授・農学科長・附属農場長[2]。1949年、学位論文「火山性地土性調査法と北海道に於ける火山性土壤」[3]北海道大学より農学博士学位を取得、帯広畜産大学畜産学部教授に就任。その後、同附属農場長や、同総合農学科長を歴任。

1966年に帯広畜産大学を停年退官し、同大学名誉教授となる。退官後は帯広大谷短期大学生活科学科教授を経て、1968年専修大学北海道短期大学農業機械科の教授に転じる。専修大学北海道短期大学学科長(1974年)を経て、1977年専修大学北海道短期大学学長に就任した[4]

1986年、専修大学北海道短期大学を退職。1996年、急性肺炎のため逝去[1]

受賞歴

主著

  • 『肥料不足対策の実際』(柏葉書院、1948年)
  • 『肥料の知識』(北農会、1950年)
  • 『耕土改良の知識』(北方出版社、1954年)
  • 『作物の育つ土と肥料』(農林図書出版社、1962年)

参考文献

  • 専修大学編『専修大学百年史』(専修大学出版局、1981年)
  • 専修大学の歴史編集委員会編『専修大学の歴史』(平凡社、2009年)

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.592
  2. ^ a b 以上につき『専修大学百年史 下巻』1981.3.31 p.1541
  3. ^ 博士論文書誌データベース
  4. ^ a b 以上につき『専修大学105年』1984.9.10 p.150
先代
相馬勝夫
専修大学北海道短期大学学長
第2代: 1977年 ‐ 1986年
次代
吉田富穂



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