小錦八十吉 (6代)
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小錦 八十吉(こにしき やそきち、1963年〈昭和38年〉12月31日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身で高砂部屋に所属し現在は日本国籍(帰化)の元大相撲力士。本名同じ。株式会社伝元所属のタレント。
注釈
- ^ 大相撲時代にはハワイ人の新生児(男児)に四股名をそっくり命名したこともあるが、問題にはならなかった。
- ^ 後年ギネスブックの相撲の項目で「最も体重の重いプロスポーツ選手」と紹介された。
- ^ この場所で小錦に一方的に敗れたことに発奮した千代の富士は稽古に励んで低迷を脱しており、千代の富士が優勝31回の大横綱となる上で小錦が与えた衝撃は大きな役割を果たしている。その後の取り組みでは、千代の富士の躍動感ある相撲にまるでついていけていない場面が目立ち、最終的な対戦成績は小錦の9勝20敗と大きく負け越し、横綱との実力差を見せつけられた恰好となった。特に昭和60年の春場所では華麗な下手ひねりで敗れた際は、悔しさを露わにしていた。
- ^ 千秋楽で大関の琴風に敗れたため、13勝2敗の平幕・多賀竜が優勝した。
- ^ 最初の一番では北尾は立ち合い左に変わり、突っ張り合いから突き勝った小錦が右ハズで出てくると、土俵際、左上手投げを見せたものの、左足が大きく土俵を割った。軍配は小錦に上がったが「北尾の左足が出るのと小錦の左足が返って甲が付くのが同時」とみて取り直しとなった。勝負規則によれば正しい判定ではあるが、攻めているときに足の甲が付いている場合は見逃されるケースが非常に多く、小錦の勝ちと判定されても仕方がないケースであった。
- ^ もっとも、小錦の優勝と3月場所の総括を伝える朝日新聞1992年3月23日付朝刊スポーツ面では、場所後の小錦の横綱昇進の可能性について全く触れていない。
- ^ 場所前の横審稽古総見の様子を伝える朝日新聞1992年5月2日付朝刊スポーツ面では「一番とるごとに息が切れる状態」と評され、場所の展望を伝える朝日新聞1992年5月10日付朝刊スポーツ面では「(優勝争いは)うかうかできない状況」と評されている。
- ^ 現在大関角番数の最多記録は千代大海の通算14回であ。
- ^ 平成時代以降、第63代横綱・旭富士から第70代横綱・日馬富士まで8力士全員「大関で2場所連続優勝」で横綱に昇進した。それ以降はやや基準が緩く成った事も有り、第71代横綱・鶴竜は優勝同点(14勝1敗)・優勝(14勝1敗)と平成初の大関2連覇ならずで横綱となった。しかも鶴竜の場合、年6場所制定着以降唯一「直前3場所前が1ケタ白星でなおかつ連覇無し」でありながらも昇進している。その後第72代横綱・稀勢の里も優勝次点(12勝3敗)・優勝(14勝1敗)で昇進を果たした。
- ^ 現役時代の双羽黒は頻繁に高砂部屋で出稽古を行っており、さらに小錦と双羽黒は同じ「花のサンパチ組」で互いに稽古相手を務め合う仲であった。その双羽黒は廃業から10ヶ月後に死去した高砂の葬儀に「事件の際迷惑をかけ、責任を感じている」という理由で出席していた。
- ^ 後の2011年3月8日にその舞の海が関西プレスクラブの招きで大阪市内のホテルで講演した際にはこの場所の小錦との対戦を言及しており、怪我を乗り越えて復帰した祝儀として小錦から勝ちを譲られたのだろうと断定したという趣旨の発言があった。
- ^ 元小結・舞の海秀平はそれについて「千秋楽前に引退届を提出した」と真相を語っている。
- ^ 後年になって年寄名跡の取得に際して2億円もの資金提供を受けたことを本人が明かしており『解禁!暴露ナイト』2013年1月24日放送分でその詳細が語られた。
- ^ 大関として同会長をつとめた例は他に初代会長の玉錦三右エ門がいる。
- ^ 特典としてオリジナルテレホンカード5種類が作られ、1987年7月1日から8月31日まで抽選で毎週3000人にプレゼントされた。
- ^ ちなみにハワイでの葬儀の習慣は男性はアロハ、女性はムームーが一般的で、黒い喪服は皆無ではないがそれほど使われない。
- ^ メタボリックシンドロームの原因となる内臓脂肪の量は少なかったために、手術そのものは平均的な所要時間よりはるかに短く終わった。
- ^ NTVで2008年6月に放送した『Touch! eco 2008 明日のために…55の挑戦?スペシャル』内で、300kg台の時には腹部がじゃまになり自分で靴を履くことができず他の人に履かせてもらっていたが230kgになり自分で靴を履けるようになった様子が放送された。
- ^ a b c d e f 途中休場
- ^ 公傷・全休
- ^ a b c d e f 大関角番(全7回)
- ^ 北勝海・霧島と優勝決定戦
- ^ 初日不戦敗・休場
- ^ 旭富士と優勝決定戦
- ^ 関脇陥落
- ^ 初日より休場・3日目から途中出場
- ^ 4日目より途中休場・9日目から再出場
出典
- ^ “元大関小錦八十吉さんは「悲運」なんかじゃなかった「日本に本当に感謝」来日40年情熱衰えず”. 日刊スポーツ (2022年8月27日). 2022年8月28日閲覧。
- ^ 知ったら笑う関取の異名 マイナビニュース 2013/02/24
- ^ 角界「異名」列伝 ウルフの時代 時事ドットコム
- ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p18
- ^ 小錦八十吉の『ドスコイ・ダンシング』2010年5月27日 KONISHIKI 公式ブログ
- ^ 皆さん、ありがとう・・・2010年5月29日 Konishikiオフィシャルサイト Konishiki日記
- ^ a b c d e f g h i j k l 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)148ページから150ページ
- ^ a b c d e ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p28-29
- ^ a b KONISHIKIから見た武蔵丸 武蔵丸光洋公式ウェブサイト
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号46頁
- ^ a b 朝日新聞1992年3月24日付朝刊スポーツ面
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』19ページ
- ^ 舞の道(元小結・舞の海と大相撲に関するサイト)-舞の部屋>> 対戦成績表 >> か行より
- ^ 舞の海秀平氏、都知事選に苦言「担ぐ方も担ぐ方だし、担がれる方も担がれる方」 ZAKZAK 2014.01.22
- ^ a b 1997年11月23日付日刊スポーツ紙面
- ^ まわしの「下がり」に個性、白鵬15連勝願い15本 日刊スポーツ 2019年5月17日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月19日閲覧)
- ^ “大転換の時代 外国人横綱誕生で歴史塗り替え”. 日刊スポーツ (2019年4月24日). 2023年6月23日閲覧。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p116-117
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年5月号93ページ
- ^ “曙さん「明るく送り出してほしい」遺言守りハワイ式で葬儀 小錦アロハで参列「歴史に残る力士」”. スポーツ報知 (2024年4月15日). 2024年4月15日閲覧。
- ^ 小錦 千代の富士との最初の一番で「僕の相撲人生が変わった」スポニチ 2016年8月2日記事
- ^ 朝日新聞2017年2月10日「耕論」
- ^ 「基準は甘かったと思うけど、いいんだよ」元大関・小錦、稀勢の里の横綱昇進を歓迎 J-CASTニュース 2017年2月11日記事
- ^ 稀勢の里このまま引退?小錦も「横綱は特別だから・・・。苦しい立場になってる」 J-CASTニュース 2018年11月16日記事
- ^ 小錦、稀勢の問題はメンタル「師匠がどれぐらいアドバイスできるのか」/九州場所 サンスポ 2018年11月16日記事
- ^ KONISHIKI、稀勢の里の休場に「親方も番付的に全然下だったから、どれぐらいアドバイスできるのかなって…」 スポーツ報知 2018年11月16日記事
- ^ 元大関 KONISHIKIさん ハワイの青年が大関に 快進撃の始まりは新幹線から(2/3ページ) WEDGE Infinity 2014年10月24日(2019年12月6日閲覧)
- ^ 元大関 KONISHIKIさん ハワイの青年が大関に 快進撃の始まりは新幹線から(1/3ページ) WEDGE Infinity 2014年10月24日(2019年12月6日閲覧)
- ^ 毎日新聞2017年10月11日 東京朝刊
- ^ 徹子の部屋辞典 Archived 2014年1月4日, at the Wayback Machine. 『徹子の部屋』のファンサイトに収録されたKONISHIKI出演時の会話
- ^ 男性不妊の治療、できること少ないからこそ 小錦さん 朝日新聞DIGITAL 2017年1月11日16時38分
- ^ KONISHIKI 初めて出会った日に「結婚してください」 AERA dot. 2014.1.20 07:00(週刊朝日2014年1月24日号より、2019年12月6日閲覧)
- ^ [元大関 小錦八十吉さん]150キロの減量(1)妻の言葉で仕事中断 yomiDr. 2010年5月6日
- ^ [元大関 小錦八十吉さん]150キロの減量(2)少量の食事を1日5回 yomiDr. 2010年5月13日
- ^ [元大関 小錦八十吉さん]150キロの減量(3)胃の縮小手術で痛風悪化 yomiDr. 2010年5月20日
- ^ 世界変わる?KONISHIKI 129キロ減量スポーツニッポン2009年7月24日、2009年8月4日閲覧
- ^ KONISHIKI初めて立って歌った!スポーツニッポン2009年7月27日、2009年8月4日閲覧
- ^ [元大関 小錦八十吉さん]150キロの減量(4)支え続けた妻に感謝 yomiDr. 2010年5月27日
- ^ KONISHIKIが150キロ減量成功 食事制限中で「刑務所みたい」 ORICONSTYLE 2013年10月15日 12時39分
- ^ 小錦、減量手術のマライアへ「でっかくガッシリ美しく!」 デイリースポーツ 2017.11.10(2019年12月6日閲覧)
- ^ ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスが主役を演じる、日本を舞台にしたショート・フィルム『外人任侠伝〜東京事変』が公開 amass 2013年5月23日
- ^ “ドラえもん のび太とロボット王国”. メディア芸術データベース. 2016年10月30日閲覧。
- ^ 「今月のLOCO-CM」『広告批評』第234号、マドラ出版、2000年1月1日、45頁、NDLJP:1852953/24。
- 1 小錦八十吉 (6代)とは
- 2 小錦八十吉 (6代)の概要
- 3 概要
- 4 減量
- 5 略歴
- 6 ミュージシャンとしての活動
- 7 株式会社KP所属タレント
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