小野吉郎
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小野 吉郎(おの きちろう、1902年1月2日 - 2006年4月)は、昭和期の逓信官僚。元郵政事務次官、日本放送協会(NHK)第11代会長[1]。広島県広島市出身[1]。
- ^ a b c d 「短期集中新連載 【東京の中の郷土】(1) 広島県の巻 この30人の咲く花鳴く鳥そよぐ風 小野吉郎」『週刊読売』1975年11月1日号、読売新聞社、37頁。
- ^ 小野が田中邸を訪れた理由を週刊誌は色々書いた。小野は単純に見舞いに行っただけと記者会見で説明したが、島桂次の著書『シマゲジ風雲録』によると、小野の会長昇格に関与した島が太くなり過ぎ、それを恐れた小野が島をアメリカ総局に飛ばそうとした。これを島から聞いた田中が怒って小野を私邸に呼びつけたのが訪問の理由という(島桂次『シマゲジ風雲録』、p26-27)。
- ^ 当時NHK内で絶大な力を持っていた日本放送労働組合(日放労)が、小野の辞任要求だけでなく天下り会長反対も唱えたため、小野の後任は芸能畑一筋だった坂本朝一が、NHK史上初の生え抜きの会長に昇格した(島桂次『シマゲジ風雲録』、p114)。
- ^ 『朝日新聞』2007年8月22日。
- ^ 毎日新聞「NHK:顧問制度、今月で廃止」2005年3月24日付朝刊30頁
- ^ 長澤泰治 (2008, pp. 62)
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