まつまえ‐しげよし〔まつまへ‐〕【松前重義】
松前重義
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松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の逓信官僚、政治家、工学者、教育者。学位は工学博士(東北帝国大学・1937年)。熊本県出身。東海大学創立者。内村鑑三を師とするクリスチャン[1]。
- ^ a b c 東海大学 『松前重義と建学の精神』
- ^ 名誉市民 - 静岡市
- ^ a b 東海大学建学の精神・教育方針東海大学、教育研究年報. 2008年度
- ^ 博士論文書誌データベース
- ^ 松前重義・伊藤隆「対談『新体制』の周辺」、小学館『日本の歴史(30)』月報。
- ^ 学校法人東海大学学園史歴史資料センター 『創立者松前重義と建学の同志たち』
- ^ 学校法人東海大学・望星学塾『望星学塾の歩み』
- ^ 吉田勝昭「私の履歴書研究」 『松前重義』
- ^ 松前重義と建学の精神東海大学
- ^ 1945年(昭和20年)に東海専門学校として合併し、後に東海科学専門学校と改称する。
- ^ 開戦直前の1941年(昭和16年)8月にも総力戦研究所で「ソ連の参戦もあるはずだし日本は勝てない」と研究をまとめていた。しかし、東條は“勝負は時の運だ”と鼻で笑って無視している。
- ^ 松前『二等兵記』
- ^ これ以前にも宴席でチフスに感染して重体に陥る。
- ^ 反東條派の東久邇宮稔彦王とコネクションを持っていたので、中野正剛と共に働きかけを行なった松前を直接的に抹殺できないため、証拠は無いが病気に見せた暗殺工作であったかもしれないと松前は考えている。
- ^ 総司令官の名で辞令を発布した。
- ^ 「二万余名を追放解除」『日本経済新聞』昭和25年10月14日1面
- ^ “月刊公論 リレー対談”. 2020年8月4日閲覧。
- ^ 「今年の辰徳は我慢強かった」父が明かす、原監督秘話 夕刊フジ 2008年10月14日閲覧
- ^ 『2022年 野球殿堂入り発表 髙津臣吾氏、山本昌氏、松前重義氏が殿堂入り!』(HTML)(プレスリリース)野球殿堂博物館、2022年1月14日 。2022年1月14日閲覧。
- ^ 訃報 松前紀男さん84歳=元東海大学長 毎日新聞2016年1月5日(2016年1月6日確認)
- ^ 東海大学医学部
- ^ 1932年当時の日本では「装荷線輪」と呼ばれていた。
- ^ 『電信電話学会雑誌』1932年3月 pp. 355-、『発明への挑戦』pp. 161-181 に再録、篠原登、橋本元三郎と連名
- ^ コロナ社、1936年8月初版
- ^ 無装荷ケーブルによる長距離通信方式の研究 国立国会図書館蔵書サーチ
- ^ エレクトロニクス発展のあゆみ調査会 編「松前重義氏に聞く(第1回) 平成2年11月19日」『エレクトロニクス発展のあゆみ 資料編』、東海大学出版会、2005年2月20日、32-44頁。
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