小城ノ花昭和
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小城ノ花 昭和(おぎのはな あきかず、1967年11月18日 - )は、千葉県市川市出身(出生地は東京都港区)で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は小岩井 昭和(こいわい あきかず)。最高位は東前頭2枚目(1990年5月場所・1996年3月場所)。現役時代の体格は身長188cm、体重137kg。得意手は左四つ、上手投げ。現在は年寄・出羽海。父は元関脇・小城ノ花正昭、弟は元小結・小城錦康年。
- ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p70-72
- ^ a b 「理事室から」 日刊スポーツ2016年5月13日紙面
- ^ 出羽海部屋ホームページ
- ^ 西方序ノ口最下段の「千穐万歳大々叶」と書いてある左側(西方)欄外にごく小さく「小岩井昭和」と書かれてあった。
- ^ 2017/6/7付日本経済新聞 夕刊
- ^ サラブレッドとしての期待もあり、国技館でのイベントで貴花田と共に千代の富士とのぶつかり稽古が組まれたこともある。
- ^ 同場所に引退した三杉里公似と同時に適用された。
- ^ 元小城ノ花の高崎親方が出羽海部屋継承 スポーツニッポン 2013年9月10日閲覧
- ^ 相撲部屋新設ならびに部屋継承のお知らせ. 日本相撲協会 2014年2月1日閲覧
- ^ 『相撲』2014年7月号(名古屋場所展望号)に掲載されている写真で、右足の包帯が確認できる
- ^ “貴乃花親方は巡業部長 協会常勤の執行部から外れる” (2016年3月30日). 2016年5月12日閲覧。
- ^ “藤島副部長、腰痛で審判外れる 代役は出羽海理事” (2016年9月9日). 2016年9月12日閲覧。
- ^ 代役ではあるが、通常、審判長(審判部長・副部長)は現役時代の最高位が三役以上で占められる中にあって、最高位が平幕の出羽海が務めるのは異例のことである。
- ^ 審判部長代理としてはこの1場所のみの担当で、翌3月場所は同門の理事で九州場所部長の境川が務めることになった。
- ^ “出羽海親方が審判部長代理就任 二所ノ関親方・闘病→伊勢ケ浜親方辞任で…初場所から” (2017年12月21日). 2017年12月21日閲覧。
- ^ この代理就任により、現職の審判部副部長である藤島、山科と共に審判長の3人全員が出羽海一門となった。
- ^ “栃ノ心口上で「力士の手本となるように稽古に精進」” (2018年5月30日). 2018年5月30日閲覧。
- ^ この伝達式では、栃ノ心および自身と同じ一門の大鳴戸審判委員が同行した。
- ^ “貴景勝が口上「武士道精神を重んじ」大関昇進” (2019年3月27日). 2019年3月27日閲覧。
- ^ この伝達式では、貴景勝と同じ一門の西岩審判委員が同行した。
- ^ “朝乃山、新大関へ口上「正義を全うし一生懸命努力」” (2020年3月25日). 2019年3月25日閲覧。
- ^ この伝達式では、朝乃山と同じ一門の千田川審判委員が同行した。
- ^ 12年ぶり無投票で理事決定 相撲協会の役員候補選 日刊スポーツ 2020年1月30日12時18分(2020年1月30日閲覧)
- ^ 「親方の理事10人選任 日本相撲協会評議員会」『産経新聞』、2020年3月23日。2020年3月23日閲覧。
- ^ なお、この前後の世代は相撲界としては全体的に「不作」で小錦(1963年12月31日生まれ)から曙(1969年5月8日生まれ)まで5年にも渡る世代で横綱・大関が誕生していない。
- ^ a b c d 大空出版『相撲ファン』vol.06 p44-50
- ^ 【理事選】安芸乃島が新理事に!次の理事長は誰に? 貴闘力部屋 2024/02/13 (2024年2月23日閲覧)
- ^ 張出
- ^ 左踵挫傷により7日目から途中休場、10日目から再出場
- ^ 急性扁桃腺炎により3日目から途中休場、7日目から再出場
- 1 小城ノ花昭和とは
- 2 小城ノ花昭和の概要
- 3 主な成績
- 4 改名歴
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