小倉宮とは? わかりやすく解説

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小倉宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 17:51 UTC 版)

小倉宮(おぐらのみや)は、日本皇室における宮家の一つ。室町時代に存在した。


注釈

  1. ^ 目録のみで本文は残っていない。「薩戒記目録」として国立国会図書館デジタルコレクションでも公開されている。
  2. ^ 『満濟准后日記』永享2年6月9日条によれば、この日、伊勢国知行分の内、一志郡・飯高郡が安堵されている。
  3. ^ 小倉宮の料所は既に護聖院宮に進められており、その代わりに与えるべき替地はなかった。
  4. ^ 江戸時代に書かれた『南朝皇胤紹運録』では「泰仁」とされているものの、根拠は不明。
  5. ^ 伏見宮貞成親王が著した伏見宮家の家譜『椿葉記』ではこの一連の出来事に関連して「御位競望の宮は勧修寺門跡に入室ありて則御出家あり」としており、聖承の行動は自身の子を皇位に上らしめんとしてのものだったという見方が示されている。
  6. ^ 瀧川政次郎が「後南朝を論ず」(『後南朝史論集』所収)でこの呼称を用いている。

出典

  1. ^ 國史大辞典編集委員会 編『國史大辞典』 2巻、吉川弘文館、1980年7月、804頁。 
  2. ^ a b 『看聞御記』応永23年9月16日条
  3. ^ 後南朝史編纂会 1981, p. 82-83.
  4. ^ 森 1997, p. 80.
  5. ^ 『満済准后日記』応永31年4月12日条
  6. ^ 森 1997, p. 88.
  7. ^ 森 1997, p. 128.
  8. ^ 森 1997, p. 27.
  9. ^ 『満済准后日記』正長元年7月8日条
  10. ^ 『満済准后日記』永享2年11月27日条
  11. ^ 後南朝史編纂会 1981, p. 132.
  12. ^ 『満済准后日記』永享4年2月29日条
  13. ^ 後南朝史編纂会 1981, p. 94.
  14. ^ 『看聞御記』嘉吉3年10月2日条
  15. ^ 本多辰次郎『勤王論之発達』日本学術普及会〈歴史講座〉、1916年8月、49頁。 
  16. ^ 『大乗院寺社雑事記』文明3年9月8日条
  17. ^ 森 1997, p. 238.
  18. ^ 桜井英治『日本の歴史12 室町人の精神』講談社〈講談社学術文庫〉、2009年7月、312頁。ISBN 978-4-06-291912-8 


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