家坂とキリスト教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/19 14:50 UTC 版)
1927年、那覇メソジスト教会で牧師伊東平次から、家坂と妻リウ(以前小学校の先生をしていた)は夫婦そろって洗礼を受けた。1934年1月、名護の青木恵哉の指導を受けたクリスチャンが宮古療養所に来て、療養所でリーダー格だった仲兼久嘉元とは共鳴しあう仲となったが、仲兼久は1年余りで死亡した。1935年、回春病院から派遣された乙部勘治がきて7名の受洗者が出た。これを契機に家坂は信徒20余名求道者約30名をもって甦生会(よみがえりのかい)を結成した。(1935年4月25日)この会は戦争で一時空白があったが、平成22年現在、組織、宮古南静園内の教会共に存在している。他に、日本キリスト教団や、カトリックの教会もある。彼は宮古南静園で聖書を講義した。その写真が残されている。寺子屋式の成人学校(八重菱学園)を作った。教師は入所者であったが、一人は元女学校の校長先生であった。
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