法正
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法 正(ほう せい、176年 - 220年)は、中国後漢末期の参謀・政治家。劉備に仕えて活躍した謀臣。字は孝直。司隷扶風郡郿県(現在の陝西省宝鶏市眉県)の人。曾祖父(又は高祖父)は法雄[1]、祖父は法真、父は法衍、子は法邈。
- ^ 『後漢書』法雄伝によると、法雄は斉の襄王の末裔と称していたと記されている。その主張が正しければ、法正もまた襄王の末裔ということになる。
- ^ 『蜀書』先主伝の引く『三輔決録注』によると、劉備が劉璋に取って代わった際に射堅(皇甫嵩の娘婿である射援の兄)が広漢・蜀郡太守に任命された。
- ^ 諸葛亮と法正は、劉巴・伊籍・李厳と共に『蜀科』を起草している(『蜀書』伊籍伝)。
- ^ 法正は許靖を虚名のみの人物であると劉備に語った。
- ^ 法正は蜀郡太守に着任すると、僅かな恨みにも必ず報復し、自分を非難した者数人を勝手に殺害した。このため、ある人が諸葛亮にそれを告げると、諸葛亮は「我が君の今があるのは法正のおかげである。その功績を考えると処罰することはできない」と咎めなかったという。法正が漢中で軍務に従事した際は、楊洪が太守を代行している。
- ^ 『正史三国志』ちくま学芸文庫212頁
- ^ 『華陽国志』に記載。
- ^ 劉備から諡号を与えられたのは法正だけである(『蜀書』先主伝)。
- ^ 原文は「法孝直若在、則能主上制、令不東行。就復東行、必不傾危矣」
- ^ 蜀書法正伝注
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