契約金ゼロの新人選手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:25 UTC 版)
「オリックス・バファローズ」の記事における「契約金ゼロの新人選手」の解説
2000年から2002年のドラフトで契約金を出来高制とした“契約金ゼロ”の選手を入団させ話題になった。これはドラフトの時点ではドラフトにかかるには一歩足りないと思われる選手を入団テストの上でドラフト指名して二軍で育成し、その後一軍登録日数が一定に達するなどの条件で出来高として契約金相当額を支払う、という現在の育成選手制度に近いものであった。2001年に北川智規が7試合に登板(先発3、救援4)したほか、2002年には高見澤考史が一軍に定着し、出来高を受け取っている。しかし北川はその後一軍に定着できず、高見澤は故障に泣き、どちらも2004年までに自由契約となった。 その他の選手はほとんど一軍で戦力になることはなく、中島俊哉(2005年から2014年まで楽天に所属)以外は2005年までにプロ野球を去っている。なお、この時入団した選手は前述の高見澤、北川、中島の他、高橋浩司・庄司大介(以上2000年入団)、板倉康弘・深谷亮司・藤本博史・橋本泰由(以上2001年入団)、塩屋大輔(以上2002年入団)である。開田博勝のように契約金ゼロでの指名ということを事前に伝えておらず、入団拒否に至った例もある。 結局「契約金ゼロ枠」の選手がほとんど活躍していないこともあり、2003年秋から05年まで常務GMを務めた中村勝広が「夢や憧れだけで入団させることは本人やチームのためにならない」とし、同年から廃止された。以降、2000年代には育成選手も梶本達哉のみしか指名されておらず、怪我などで育成枠に降格する例としては宮本大輔などがいたが、育成枠自体があまり積極的に活用されることはなかった。しかし、2010年代にはフレディ・バイエスタスなどの外国人を育成枠で獲得し、2011年度のドラフト会議で稲倉大輝・柿原翔樹が育成枠指名された(バイエスタスは2012年途中に自由契約、稲倉、柿原も2013年10月1日に戦力外通告されている)。その後も2015年度に赤松幸輔を育成枠で指名し、2016年7月には三軍創設を念頭に育成選手を獲得する動きがあると報じられ、10月20日のドラフト会議では5人の選手を育成枠で指名した。
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