奄美群島選挙区
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奄美群島選挙区(あまみぐんとうせんきょく)は、1953年から1992年まで設置されていた日本の衆議院議員総選挙における選挙区である。当時は中選挙区制で行われていた衆議院選挙において、唯一1人区として置かれていた選挙区であった。
- ^ a b “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第125回国会 制定法律の一覧 >法律第九十七号(平四・一二・一六)”. 衆議院 (1992年12月16日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第075回国会 制定法律の一覧 >法律第六十三号(昭五〇・七・一五)”. 衆議院 (1975年7月15日). 2022年1月23日閲覧。地名は1975年(昭和50年)当時のものである。
- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第046回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法の一部を改正する法律 法律第百三十二号(昭三九・七・二)”. 衆議院 (1964年7月2日). 2022年1月23日閲覧。地名は1964年(昭和39年)当時のものである。
- ^ 1946年の第22回衆議院議員総選挙では大選挙区制を採用。
- ^ 金井正夫も同選挙で鹿児島県第3区から当選した。
- ^ 2006年に住用村・笠利町と合併して奄美市に改組。
- ^ 死後の補選で保岡武久が返り咲き。
- ^ 1990年の初当選後に自由連合を結成し、自らが代表に就任。
- ^ 朝日新聞「asahi.com」2009年8月25日付 「〈決 09衆院選〉激戦区ルポ・鹿児島2区 保徳戦争の影、消えず」
- ^ 徳之島出身、1905年 - 1959年。終戦までは小学校の教師や国民学校の校長を務めた。また、詩人としても多くの作品を残した。
- ^ 鹿児島県教育委員会サイト 2012年4月23日更新、「奄美復帰運動の父」 泉芳朗、2013年6月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 1993年の第40回総選挙では、定数4の鹿児島県第1区で保岡・徳田の両者が当選し、初めて2人同時に国会での議席を得た。
- 1 奄美群島選挙区とは
- 2 奄美群島選挙区の概要
- 3 選挙結果
- 4 脚注
- 奄美群島選挙区のページへのリンク