大虫神社 (与謝野町)とは? わかりやすく解説

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大虫神社 (与謝野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 09:53 UTC 版)

大虫神社(おおむしじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町温江(あつえ)に鎮座する神社式内社名神大社)で、社格旧府社。鎮座地は野田川の中流域で加悦谷(かやだに)と称される地の東方台地上、大江山連峰の西山裾に位置する。加悦谷には国の史跡に指定されている蛭子山古墳作山古墳などの古墳や遺跡が密集し、古代丹後地方における最先進地帯であったと見られている。


  1. ^ 『加悦町史 資料編』第1巻所収。
  2. ^ a b c 『式内社調査報告』。
  3. ^ a b c d e f 『加悦町誌』。
  4. ^ 斉衡2年(855年)正月丙午(25日)条。
  5. ^ 現存『丹後国神名帳』は福知山市大江町南山の室尾谷山観音寺に伝わり、書写本であるが原本は元亀3年(1572年)の筆になる。同寺の修正会において奉唱された勧請神名帳であるが、丹後の国内神名帳に起源を持つとされる(三橋健『国内神名帳の研究 論考編』、おうふう、平成11年)。
  6. ^ 『丹後国諸庄郷保惣田数帳目録』による。同書は室町時代中期の長禄3年(1459年)の書写にかかる土地台帳で『丹後国田数帳』とも略称される。長禄3年をあまり遡らない時期に作成されたものと考えられているが、首部に「正応元年八月日」の日付があることから、鎌倉時代中期に国衙によって作成された大田文が原型である可能性があるという(宮津市ホームページ、「宮津市の文化財」(平成21年10月19日閲覧))。従ってそこに記された当神社の神田数は、精確には正応元年から長禄年間に至る約170年の間のある時期におけるものである。
  7. ^ 『加悦町誌』。旧鎮座地には「御手洗ノ池」が残されているという。
  8. ^ 『日本の神々』、『京都府の地名』。
  9. ^ 『式内社調査報告』、『日本の神々』。また、遺称地が存しないために所在は不明であるが、駅馬5匹の用意が規定されていた勾金(まがりかね)駅(『延喜兵部省式』)も置かれていたという(『京都府の地名』)。
  10. ^ 丹後国の旧事や古跡、名勝を古書を引用しながら詳述したもの。天明年中(18世紀末)に其白堂信吉が著し、文化7年に小松国康が改訂。『丹後史料叢書』第1輯(名著出版、昭和47年)に所収。
  11. ^ 『加悦町誌』。但し「阿知江郷16ヶ村」がどこを指すかは記していない。
  12. ^ 「叡」字は「睿」偏に「殳」と作るが、「叡」の誤写であろうという(三橋前掲書)。
  13. ^ 祭神が少童命とされる事情は不明であるが、度会延経は『神名帳考証』において「あつえ・あちえ」と「安曇(あづみ)」との関係を仄めかしている。なお、少童命は安曇氏の祖神である。
  14. ^ a b 『加悦町史 資料編』第1巻。
  15. ^ 以上、本節は別注記を除き『加悦町史 資料編』第2巻による。


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