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大竹 まこと
大竹まことの画像
| 芸名 | 大竹 まこと |
| 芸名フリガナ | オオタケ マコト |
| 性別 | 男性 |
| 生年月日 | 1949/05/22 |
| 星座 | ふたご座 |
| 干支 | 丑年 |
| 出身地 | 東京都 |
| URL | http://www.ash-d.info/otake.html |
| プロフィール | 1979年、当時の劇団仲間であるきたろう・斉木しげるとコントグループ「シティボーイズ」を結成。現代社会のナンセンスを一味違ったコントで表現し、「お笑い界のニューウェーブ」と呼ばれる。以後、バラエティ番組のみならずドラマ・映画などでも活躍。主な出演作品に、朝日放送『ビートたけしのTVタックル』、『M-1グランプリ』審査員、ラジオ『大竹まこと ゴールデンラジオ!』など。 |
| 代表作品1 | TBS『ドリーム・プレス社』 テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』 |
| 代表作品2 | 映画『STEREO FUTURE』・『BROTHER』・『恋の門』 |
| 代表作品3 | 著書『本の旅人』・『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』 |
| 職種 | タレント・俳優・女優 |
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映画監督・出演者情報 |
大竹まこと | |
キネマスターフィルム |
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ウィキペディア |
大竹まこと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/10 05:15 UTC 版)
| 大竹まこと | |
|---|---|
| 本名 | 大竹 真 |
| 生年月日 | 1949年5月22日(62歳) |
| 出身地 | 東京都目黒区 |
| 血液型 | A型 |
| 身長 | 175cm |
| 方言 | 東京弁 |
| 最終学歴 | 東京大学教育学部附属高等学校 |
| トリオ名 | シティボーイズ |
| 相方 | きたろう・斉木しげる |
| 芸風 | コント |
| 立ち位置 | 中央 |
| 事務所 | ASH&Dコーポレーション |
| 活動時期 | 1977年ごろ - |
| 現在の代表番組 | 『ビートたけしのTVタックル』、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』、『SUPER SURPRISE』 |
| 過去の代表番組 | 『夕やけニャンニャン』など |
| 他の活動 | 俳優、ラジオパーソナリティ |
| 親族 | 弟:大竹オサム(作家・料理人) 長男:大竹マネージャー(プロダクション人力舎マネージャー) |
| 弟子 | ユリオカ超特Q |
大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年5月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、ラジオパーソナリティ。大竹まこと・斉木しげる・きたろうで構成するシティボーイズのリーダー。本名、大竹 真(読み同じ)。
東京都目黒区出身。ASH&Dコーポレーション所属。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。大竹オサムは双子の弟。
目次 |
来歴・人物
眼鏡とヒゲが特徴的、スーツ姿で人前に出ることが多く、40歳頃から白髪頭といったいでたち。その風貌から、「シティボーイズのグルーチョ・マルクス」という雰囲気もある。風貌から久米宏や岩佐徹と間違える視聴者もいる。また、ユン・ソナからは、「リチャード・ギアみたい」とべた褒めされている。
『ケンタウロスの伝説』『万歳ハイウェイ』などの漫画原作者としても知られる元バイク雑誌編集者の大竹オサムは双子の弟。前述の出身中学は「双子研」として知られる双生児研究の盛んな学校である。趣味は料理とゴルフ。
1971年秋、通っていた劇団俳優小劇場の養成所が入所して間もなく養成所の幹部の間で内紛があったため、直談判の結果、費用を返金してもらう。その仲間が集まり、返金された金を元に劇団『表現劇場』を結成。この時の仲間に、のちにシティボーイズを結成するきたろう、斉木しげるの2人と俳優の風間杜夫が在籍。1979年、きたろうと斉木、大竹の3人からなる芝居ユニット「シティボーイズ」を結成。劇団時代はアルバイトなどをせず女性に経済的な援助を受けるヒモ生活を送る。新進気鋭の役者としてTVの露出が増えていく風間の芝居を鼻で笑って腐していたがある日、手持ちの金が無く同居の女性に金銭を要求したところ財布から500円玉を手渡され全く収入の無い現状を認識し狼狽。ある公開イベントでプログラムを勝手に書き換え、何回かあるプログラムの合間にシティーボーイズのコントを差し込む、これが業界関係者の目にとまり芝居批評の記事になる。この頃の不遇の時代を送っていたため料理が得意。しばしテレビ番組などで料理の腕前を披露する。野菜の千切りが上手い。実際、キミハ・ブレイクの時短生活ガイドショーでは、鰺めし、和風とんかつ他計4品を解説を丁寧にしながら、23分程度で作り、味も旨いと絶賛されている。かつてはテレビで料理を披露する時には必ず髪の毛が落ちないよう水泳帽を被っていた。タレント業として芸能事務所「人力舎」と契約、初起用にクイズ番組の司会を受け持つが番組進行中取り乱し、昏倒。ピンで活動する場合は常滑川まことを名乗ることも多かった。
放送媒体においてはシニカルなキャラクターから一転して憤激し暴力と罵詈雑言で暴れるというタレントで認知される。TV番組でも山瀬まみの行動に怒り、山瀬を舞台上で押し倒し、番組セットを破壊して日本テレビから20年間の出入り禁止になったり、公開放送の舞台で包丁を振り回したり、司会進行を務めていた「夕焼けニャンニャン」では、当時おニャン子クラブメンバーであった生稲晃子の頭を鷲掴みにして股間に押しつけるなど破壊的なキャラクターだった。
1980年代初頭、「東京にオモロイ奴が居る」との噂を聞きつけ、上岡龍太郎が大竹を関西の番組に呼ぶも萎縮してしまい何もできないまま東京に戻る。これで二度と関西から声はかからないだろうと恥じ入っていたが、再び上岡が大竹にオファー、「何してもええ(良い)んやで好きなようにやり(しなさい)」とアドバイスを受けて腹をくくった大竹は罵詈雑言、乱暴狼藉を働く。結果、上岡もひっくり返って笑う程の爆笑を取り、近畿地区に足がかりを築く。上岡に対しては「師と仰ぐ事すら失礼にあたる」と尊敬の念をあらわにしている。 現在放送中の『大竹まこと ゴールデンラジオ!』でもフリートークで当時のエピソードをたまに話すが、世間的には昔のイメージが強く未だに恐いと思われることが多い[1]。
弟子に漫談家のユリオカ超特Qがいる。
1988年頃から、メジャーデビュー前のX JAPAN(当時のバンド名は「X(エックス)」)のYOSHIKIらとの交流をもち、1991年と1992年には日本武道館で行われた、YOSHIKI主催のインディーズレーベル「EXTASY RECORDS」のイベント「EXTASY SUMMIT」に司会者として参加した事がある。
1996年東京・杉並区内の交差点で乗用車を運転中、隘路から進行してきた大竹の車に二人乗りオートバイが車体横に衝突。バイクを運転していた男性は頭を強打し、事故の翌日死亡。後部座席に乗っていた女性も全身を強く打つ怪我を負った。この事故で大竹は一時的に芸能活動を自粛するが約2週間後に復帰している。
若手お笑い芸人への造詣が深く、M-1グランプリ、R-1ぐらんぷり、ABCお笑い新人グランプリなどの賞レースで審査員を務めていた。『仮面ライダー』の着ぐるみにも造詣が深い。
東国原英夫は芸人時代、早稲田大学入学時に推薦文を書いてもらう等、謹慎になった時に多大なる世話になったと今でも大竹を慕っていて「兄さん」と呼んでいる。また、「まともに仕事をしていたら、相当ビッグになっていたかもしれない」と讃辞している。
家族構成は妻と1男1女に猫2匹(名前はソメコとフック)。息子はお笑いトリオ東京03マネージャー(ニコニコ動画2009年9月23日の生放送より)。『ゴッドタン』マジ歌選手権では担当タレントの角田晃広と共にほぼレギュラーで登場し、見事な楽器演奏を披露している。
トラブルのあった山瀬まみとは以降彼女の事務所の意向から長年共演がなかったが、『週刊オリラジ経済白書』や『ドリーム・プレス社』(2008年10月24日放映)で共演している。2009年4月10日放映の『ぴったんこカン・カンスペシャル』に出演し、レギュラーである山瀬と共演した。
かつて同じ事務所に在籍していたヒロミは「まだ売れていない頃俺がヤンチャにもかかわらず可愛がってくれた。今でも頭が上がらない」と語っている。
2011年4月29日放送の大竹まことゴールデンラジオで自宅で購読をしている新聞は4紙(朝日新聞・讀賣新聞・東京新聞・毎日新聞)でさすがに4紙を購読するのは疲労との理由から3紙にすると発言、止める新聞は秘密ですとのこと。若い頃は新聞は車に積んでいたが字を読むのが嫌いで、ただ購読をしていただけで読んではいないと発言をした。
ラーメン店「くじら軒」店主、田村満儀は高校の同級生。
エピソード
- 前述のとおり、大竹には双子の弟がいるのだが、NHKで「大嫌いだ」と発言していた丹波哲郎と出くわすことになった。大目玉を食らいそうになるが「僕は双子の弟の方ですよ」と言って難を逃れたという。が、このことが災いして、「NHKに大竹まことの弟がいる」や、「弟はNHKの大道具さん」といった都市伝説が一人歩きしてしまう結果となってしまった。
- 無名時代に映画「八甲田山」にエキストラ出演、撮影中、大御所俳優は暖房設備のある場所で待機していたがエキストラは雪と寒風吹きすさぶ中凍えながら待機させられていた。待遇の悪さに腹を立てていた大竹は雪の中で立ち小便する者を発見、腹いせまぎれに後ろから思い切り蹴飛ばすと、その人物は緒形拳で大竹は大急ぎでその場から逃走した。
- かつて、自身のプロフィールには『青山学院大学経営学部中退』とあったが、実際には大学には進学していない。これは『青山学院大学経営学部を受験して不合格になった』という事実が、いつの間にかプロフィール作成者に青山学院大学経営学部に在籍していたと誤解されてしまったためである。
- ダウンタウンの松本人志は著書『遺書』の中で、数少ない認められる人物「お笑い界のいい男4人」として、島田紳助、志村けん、浜田雅功と共に大竹の名前を挙げている。「何をしでかすか分からない、いや、しでかした後のような危険さがある」と評している。
- M-1グランプリでは2002年から2008年まで7年間審査員を務めていた。
- ^ 2008年12月26日放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」より
固有名詞の分類
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