大山朝常との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:53 UTC 版)
コザ市長を務めた大山朝常とは、同じ越来村の生まれで、沖縄県立農林学校を卒業し、その後、近衛師団に入営しているところまで経歴が一致している。桑江の自伝によれば、大山とは越来村の村会議員の時に誰を議長にするかという問題から軋轢がうまれ、1950年の群島議会選挙で「桑江が立候補しなければ、大山先生が当選できたのに」と大山支持者から批判され、大山と抜き差しならぬ関係になったと述べている。 1974年に、沖縄市への合併を期にコザ市長を退任した大山朝常は、後任として町田宗徳を支持していた。しかし、町田の市政運営が放漫財政を招き、また中城湾の港湾設備開発に積極的でないという理由から、1978年の選挙で桑江支持にまわった。
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