外交方針の相違とウッドヴィルの存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 05:35 UTC 版)
「エッジコート・ムーアの戦い」の記事における「外交方針の相違とウッドヴィルの存在」の解説
実際、タウトンの戦いの後、数年間は国政はウォリック伯に委ねられていた。1464年、ウォリック伯はランカスター派擁護を標榜するフランスとの外交交渉の真っ只中にいた。彼はこの外交問題は、エドワード4世がフランスの王女と結婚する事で解決できると考えていた。ウォリック伯はフランス国王ルイ11世にフランス王女との結婚をもちかけて交渉を進めたが、間もなく衝撃的な事実が知らされて大恥をかく事になる。実は、エドワード4世はその半年前に平民であるエリザベス・ウッドヴィルと密かに結婚していたのである。後々、エリザベス・ウッドヴィルの兄弟姉妹はイングランド中の有力貴族と結婚していく。 これらの結婚の多くが何らかの形でウォリック伯の心象を害した。少なくともそのうちの1つは、彼の家名に泥を塗るものだった。
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