境町トレーニングセンターからの撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 19:28 UTC 版)
「新高崎競馬応援団」の記事における「境町トレーニングセンターからの撤退」の解説
新高崎競馬応援団の活動は、円満に競馬場廃止に幕を引きたい群馬県と常に対立する構図で行われてきた。そのため、参加する調教師のなかには新高崎競馬応援団の方針に不満を持つ人々もいた。2005年(平成17年)3月、新高崎競馬応援団が運営会社の法人登記をしようとする直前、調教師の半数が分裂。群馬県の反対する競馬開催はあきらめて、境町トレーニングセンターを育成施設として再生する「境共同育成センター」案を発表した。育成センター建設派は第2回模擬レースへの協力も拒否し、日常の調教でも度々両者の間でトラブルが発生するようになった。群馬県は境共同育成センターを認める代わりとして、調教師らが県への対抗策として行ってきた家賃の供託を取り下げるよう要求した。2005年(平成17年)7月、共倒れを懸念した新高崎競馬応援団の調教師らは供託金を取り下げ、境町トレーニングセンターから撤退することを決めた。こうして半年強に渡った新高崎競馬応援団は実質的な活動を終えることになった。
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