坊門清忠
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坊門 清忠(ぼうもん きよただ)は、鎌倉時代から南北朝時代初期にかけての公卿。従三位坊門基輔の孫、左中将坊門俊輔の子。後醍醐天皇の古参の側近として建武政権下で活躍し、南北朝分立後は南朝に仕えた。建武政権・南朝を文書行政面から支え、重臣吉田定房との相次ぐ死は後醍醐帝に深く悼まれた。歌人でもあり、勅撰集『続千載和歌集』、準勅撰集『新葉和歌集』等に入集。
注釈
出典
- ^ 『増鏡』巻11「さしぐし」
- ^ a b 『続千載和歌集』羇旅歌
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『大日本史料』6編4冊769頁.
- ^ 『大日本史料』6編1冊138頁.
- ^ 建武年間記 1932, p. 751.
- ^ a b c 『大日本史料』6編4冊390–393頁.
- ^ 正宗 1937, p. 209.
- ^ 正宗 1937, p. 62.
- ^ 正宗 1937, p. 132.
- ^ 博文館編輯局 1913, pp. 459–462.
- ^ 今井 & 内藤 1914, p. 532.
- ^ 宇内日呂志 『司馬遼太郎の「日本人論」と現代の日本 二十一世紀の日本人にその声は届いているか』ブイツーソリューション、2017年 。
- ^ a b 杉山 2016, pp. 222–223.
- ^ a b 杉山 2016, pp. 209–215.
- ^ 正宗 1937, p. 239.
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