お由羅騒動
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お由羅騒動(おゆらそうどう)は、江戸時代末期(幕末)に薩摩藩(鹿児島藩)で起こったお家騒動。別名に高崎崩れ、嘉永朋党事件。藩主・島津斉興の後継者として側室の子・島津久光を藩主にしようとする一派と嫡子・島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされた。
注釈
- ^ 島津家に限ったことではないが、藩主家において次期家督相続の可能性が薄い三男以下については藩重臣の養子にすることがあった。しかしこの養子縁組に対して、種子島家側からはかなりの反発があったのは事実である。詳細は種子島久道参照。
- ^ この時点で、島津家に残っていた斉彬や次男の久寧を除く、周子やお由羅出生の男子が次々死去し、藩主後継者のストックに問題が出ていたという藩政上の理由であった可能性もある。実際に文政9年には久寧(池田斉敏)が岡山藩主家に行き、島津本家に残る斉興の息子は斉彬1人になっている。
- ^ ただし、それまで重富家から藩主継承者を出した実績はなかった。
- ^ 姓が吉利[1]。
- ^ 漫画家のみなもと太郎は『風雲児たち』で「本人の容疑はもとより背後関係の調査すら抜きにしての切腹はいくらなんでも異常で斉興の憎悪の強さがうかがえる」と述べている。
出典
- ^ 海音寺潮五郎「西郷隆盛」1巻P194、朝日文庫
- 1 お由羅騒動とは
- 2 お由羅騒動の概要
- 3 背景
- 4 騒動後
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