足利頼純
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:36 UTC 版)
足利 頼純/頼淳(あしかが よりずみ/よりあつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。別名に喜連川頼純。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第七十八
- ^ 系譜類には国王丸とされるが、天文14年(1545年)に作成された石堂寺多宝塔には「千寿丸 生年十四歳」と記されている。
- ^ 一般的には「頼純」と表記されているが、今日遺されている本人の直筆の署名の名乗りは「頼淳」である。『喜連川判鑑』にも「頼淳」と記されている。
- ^ 大野太平「喜連川頼氏の寄寓について」『房総郷土研究』2巻1号、1935年。
- ^ a b 滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」『中世房総』6号、1992年。
- ^ 佐藤博信 著、荒川善夫; 佐藤博信; 松本一夫 編 『中世下野の権力と社会』〈中世東国論3〉岩田書院、2009年。ISBN 978-4-87294-561-4。
- ^ 山中長俊が増田長盛に充てた書状では、頼純が小弓に在城していたように記されている。
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