喜連川藩
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喜連川藩(きつれがわはん)は、関ヶ原の戦いの後に下野国塩谷郡喜連川(現在の栃木県さくら市喜連川)に立藩された藩。藩庁は喜連川陣屋。藩主は足利国朝(正室は古河公方・足利氏姫)を藩祖とする喜連川家。喜連川家は足利尊氏の次男・足利基氏の後裔であり、名族足利氏のなかで唯一明治維新まで大名格で存続した家である(分家を入れると細川氏も含まれる)。
注釈
- ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
出典
- ^ 『喜連川公方実記』
- ^ 阿部能久 「喜連川家の誕生」『戦国期関東公方の研究』 思文閣出版、2006年、ISBN 4-7842-1285-X、ISBN 978-4-7842-1285-9。
- ^ a b 藤野保・木村礎・村上直 編 『藩史大事典 第2巻 関東編』 雄山閣、1988年、155頁、ISBN 4-639-10036-1。
- ^ 『栃木県史』通史編5 近世2
- ^ 江戸切絵図(goo地図)を見ると、不忍池の近くに「喜連川左馬頭」と書かれた区画がある。
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