哀章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/26 08:00 UTC 版)
哀 章(あい しょう、? - 23年)は、中国の新代の武将・政治家。王莽配下の人物。益州広漢郡梓潼県の人。
- ^ 以下、特に注釈がない場合、出典は、『漢書』王莽伝上
- ^ 東晋次は、「符命」について、「「符命」とは何か。「符命」の符は、割り符のことである。木の札などを二つに折って、それをあわせて合致することを符合というが、なんらかの権威から与えられた命令や恩恵などを保証する「しるし」であり、符合することによって命令などが明示されることになる。割り符以外の場合、(中略)武功長孟通が得たところの、朱字で「安漢公莽に告ぐ、皇帝に為れ」と書かれた上円下方の白石などは、天命の「しるし」そのものなのである。そうした「しるし」によって明示された天命を「符命」と称するのであるが、それがめでたい「しるし」であることから、祥瑞の意味を込めて「符瑞」ともいわれる」と論じている『王莽 儒家の理想に憑かれた男』p. 177
- ^ 渡邉義浩は「符命は、常に何らかの符瑞と関連して出現することが図讖と比べた際の特徴である。そこには、天命が述べられており、それは符命が王莽の意図を汲んだ者に作為されたことによる。符命は、天命による革命の正統化を担うものと考えてよい」と論じている。『王莽―改革者の孤独』p.106
- ^ この邦とは、漢の高祖である劉邦の名
- ^ 東晋次は、このことについて、「(先の王莽の上奏文にあるように)「銅符」や「帛図」と呼ばれていることからも、「符」は「図」とも通じ合う。(中略)「金匱図」や「金策書」の「図」と「書」はもちろん予言と関係する。『漢書』五行志の冒頭で班固は、『易経』の「天は象を垂れ、吉凶を見(あら)わす、聖人は之に象(かたど)る。河は図を出(い)だし、洛は書を出だす、聖人は之に則る」を引用し、伏犠氏は河図を授けられてこれを手本として八卦の図案を創作し、禹は治水の功績で洛書を賜り、これを模範にして『尚書』「洪範」を作成した、と述べる。いわゆる「河図洛書」である。『論語』(子罕篇)に、「子曰く、鳳凰至らず、河は図を出さず、我れ已んぬるかな」という孔子の言葉があるが、これは聖天子が此の世に存在しないことから、鳳凰が現れたり、黄河から図が出現しないことを嘆いたものなのである。鳳凰などが現れることは、聖天子出現の前兆つまり祥瑞として考えられた。秦漢時代では、善政の証拠としての鳳凰や麒麟のような瑞獣の出現が信じられ、神秘思想としての祥瑞思想も災異思想とともに盛んになっていたのである。(中略)災異も祥瑞も現実の政治のよしあしに対する天の判定をあらわすだけでなく、未来に生起する事柄の兆しを示すものである、という考えた方が生まれてきていた。予告ないし予兆といわれる未来予言の思想である。(中略)前漢後半期においては「讖緯」と呼ばれる未来予言の思想的な活動が活発となる」と論じている『王莽 儒家の理想に憑かれた男』p. 178-180
- ^ 『漢書』元后伝
- ^ a b c d e f 『漢書』王莽伝中
- ^ a b c d 『漢書』王莽伝下
- ^ 赤眉を指す
- ^ 南陽郡を指す。王莽の新代に改称。
- ^ 緑林の反乱軍を指す。
- ^ 翟義を指す。
- ^ 趙明を指す。
- ^ 『後漢書』劉玄劉盆子列伝
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