和泉下守護家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:50 UTC 版)
頼之の猶子・基之のあと、細川持久(基之の孫)、勝信(基経)、政久が守護職を継承した。明応4年(1495年)、政久は和泉上守護家と同盟し、その上で畠山尚順と結び細川政元に対抗したがその後は恭順した。しかし畠山尚順に攻め込まれ戦死した。その後、細川政元は畠山尚順を河内で破り、和泉に攻め入って支配を回復したが、そののち和泉下守護家がその地位を保つことはできなかった。
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