周の君主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 03:49 UTC 版)
文王(ぶんおう) 殷の西伯侯で、後に西岐を治める周の王となる。名は「姫昌(き しょう)」。 占いを特技としており、百発百中で当たる。「子供が百人いなければ不幸に見舞われる」と以前から何度も出ており、後に旅の途中で拾った捨て子を第100子と認知し、雲中子に7年間預ける。紂王の異例の呼び出しにより占った際に「不吉な旅で7年間幽閉される」と出ており、後に現実になり紂王に謀反の容疑をかけられ、7年間羑里に幽閉される。後に紂王に釈放され、「西伯侯」から「文王」に任命される。 戦争を嫌い話し合いによって物事を解決してきたが、呂尚を宰相に迎え、挙兵する。 晩年は病にかかり、死に際に姫発を跡継ぎに指名して事切れた。その死は多くの人が悲しんだ。 武王(ぶおう) 文王(姫昌)の息子。名は「姫発(き はつ)」。父・文王の死後、跡を継ぎ「武王」を称する。
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