合邦辻閻魔堂
合邦辻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 14:37 UTC 版)
合邦辻(がっぽうがつじ)は、現在の松屋町筋(下寺町筋)と国道25号線(竜田越奈良街道)の交差点(公園北口交差点)を指す歴史的な呼称。合邦ヶ辻などとも表記される。 古くは「合法辻」と書かれ、聖徳太子が物部守屋と仏法について合論した地であると伝わるほか、「四天王寺の学校があったことから「学校が辻」と言っていたものが訛った」など、地名については多くの俗説がある。 江戸時代には大坂市街の南郊、摂津国東成郡天王寺村の一角であった。合邦辻は四天王寺西門の西方に位置しており、逢坂(天王寺七坂のひとつ)の上り口に当たる。すなわち竜田越奈良街道はここから東へ、四天王寺門前まで上町台地の斜面を上っており、坂に向かって右手に一心寺、左手に安居神社がある。 この一帯は1897年に大阪市(当初は南区に属した)に編入され、市街化が進んだ。
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