北陸鉄道加南線
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加南線(かなんせん)は、石川県にかつてあった北陸鉄道の以下の鉄道路線の総称である。
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『石川県史 第4編』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道史学』No5、38頁
- ^ 『北鉄の歩み』306頁
- ^ 横山章は電気王福澤桃介に指導を求めている『石川百年史』758頁
- ^ a b 「鉄道免許失効」『官報』1926年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 「鉄道免許失効」『官報』1935年11月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 吉崎・芦原間は三国芦原電鉄(現えちぜん鉄道三国芦原線)の子会社・吉崎鉄道が免許を得たがこちらも未成に終わっている
- ^ a b 「時事新報社第三回調査全国五十万円以上資産家」『時事新報』1916年4月28日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 旧山中電軌、山代軌道、粟津軌道関係者は13.7%
- ^ 横山章が沿線の観光開発による旅客誘致にあまり興味を示さなかったこともその一因とされている「温泉電軌の成立とその性格」42頁
- ^ 「金沢の巨星墜つ横山家の総没落」『大阪朝日新聞』1924年8月6日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 山中、山代-大聖寺間、動橋-片山津間など自社の鉄軌道路線と並行した路線をおさえている『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『北鉄の歩み』172-175頁
- ^ 1968年に発表されたこの方針はあまりに社会的な影響が大きすぎたことから、石川県や沿線各市町村の反対によって後に撤回され浅野川・石川の両線についてのみ存続に方針転換された。
- ^ a b 大聖寺駅・加賀温泉駅・動橋駅の3駅は現在はいずれも加賀市だが、1957年までは大聖寺駅は大聖寺町、加賀温泉駅(作見駅)は片山津町、動橋駅は動橋町とそれぞれ別の自治体の領域であった。
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年6月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道一部免許失効」『官報』1916年5月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年12月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年11月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『北鉄の歩み』314頁
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『北鉄の歩み』322頁
- ^ 『北陸鉄道50年史』267頁
- ^ a b 『北陸鉄道50年史』272頁
- 1 北陸鉄道加南線とは
- 2 北陸鉄道加南線の概要
- 3 輸送・収支実績
- 4 車両
固有名詞の分類
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