労働党議員時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 10:13 UTC 版)
「オズワルド・モズレー」の記事における「労働党議員時代」の解説
1920年に退役軍人救済を行わない保守党に失望し、妻とともに保守党を離党して労働党へ移籍した。 1926年にスメスウィック選挙区(英語版)から再度庶民院議員に選出される(1926年 - 1931年)。 1928年9月21日に父が死去し、第6代準男爵位を継承する。 1929年に労働党のラムゼイ・マクドナルド内閣にランカスター公領大臣として初入閣を果たす。当時イギリスでは失業者数が250万人を超えており、その雇用問題を担当した。 公共事業による失業者救済、政府計画に基づく経済再建などを提案した。これは労働党の雇用政策を一世代先取りしたような革新的提案だったが、その提案は却下された。労働党の保守的な体質に幻滅したモズレーは、1930年に大臣を辞して離党した。
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