副大統領就任とムバーラク政権の崩壊
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「オマル・スレイマーン」の記事における「副大統領就任とムバーラク政権の崩壊」の解説
2011年1月に発生した反政府運動の高まりを受け、同年1月29日、スレイマーンは副大統領に任命された。ムバーラクの大統領任期では初めての副大統領であり、スレイマーンの副大統領任命を事実上の後継指名とする見解があった。2月10日にはムバーラクより大統領権限を移譲され、事実上の国家元首となったとされたが、翌2月11日にはムバーラクが大統領を辞任し、権限は軍最高評議会に移譲された。スレイマーンは国営放送でムバーラクの辞任を発表した後、副大統領を辞任した。 ムバーラクが辞任した2月11日以降、スレイマーンは一切公の場に姿を見せていなかったが、2012年4月、次期大統領選挙への出馬を発表。しかし立候補要件の一つである有権者の署名が一部の県で不足していたとして、選挙管理委員会により失格とされた。 同年7月19日、心臓治療のために入院していたアメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドの病院において死去。76歳没。
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