初期の及川氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 03:47 UTC 版)
政嗣は、父・頼政が奥州に下向した時に残した胤で、一族中では奥州土着の先駆けとなった。政嗣は異母兄・仲綱より40歳以上も若く、おそらく甥の成綱よりも歳下であった。政嗣が及川氏を称したのは同族として成綱に従ったことを示す。成綱の兄・源有綱は源頼朝の挙兵の際に参陣していることから、成綱もまた鎌倉幕府に従ったと思われる。神奈川県厚木市の「及川」という地名は成綱または成綱の子・及川光綱の縁かとも思われるが、古くは「及河」とも書き「おいがわ」と濁って読むのが正しい。
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