初代仙台国包とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 初代仙台国包の意味・解説 

初代仙台国包

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 01:02 UTC 版)

初代仙台国包(しょだいせんだいくにかね、文禄元年(1592年) - 寛文4年12月3日1665年1月18日))は江戸時代陸奥国の刀工。俗名は本郷源蔵、のちに吉之允。

新刀最上作にて最上大業物。古刀大和保昌派の末流と称す。文禄元年(1592年)国分若林に生まれ、仙台城下に住まうが慶長19年(1614年)藩主伊達政宗の命により上京し、越中守正俊の門人となる。元和5年(1619年)帰国し、寛永3年(1626年)山城大掾受領。寛永13年(1636年)入道して用恵と名乗った。正保2年(1645年)隠居し、寛文4年(1664年)12月3日73歳で没した。その後も国包の名は明治の13代目まで続いている。

作柄としては保昌派の作を狙っており、鎬高く地鉄は揃った柾目肌、刃文は沸のついた直刃や互の目を焼き、帽子は焼詰めて掃掛ける。

瑞巌寺の雲居和尚が初代国包に与えた文書「仁沢の偈」に国包の読みは「くにかん」と振り仮名が書かれており、「くにかね」は誤りである[1]。2代目以降は「くにかね」と呼ばれている[2]

作刀

刀 銘奥州仙台住山城大掾藤原国包 寛永五年八月吉日
重要文化財1958年2月8日指定)、個人蔵(大阪府大阪市城東区)

脚注

  1. ^ 63 刀工国包の読み”. 要説宮城の郷土誌 (1983年)(仙台市民図書館,種部金蔵 編). 仙台市 (2016年). 2011年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月26日閲覧。
  2. ^ 東北大学総合学術博物館『展示品あんない』13p”. 東北大学総合学術博物館『展示品あんない』13p. 東北大学 (2016年). 2016年3月26日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「初代仙台国包」の関連用語

初代仙台国包のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



初代仙台国包のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの初代仙台国包 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS