出世大相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 00:01 UTC 版)
出世大相撲は、テクノスジャパンが開発しSNKが発売した、大相撲を題材としたスポーツゲーム。1984年に発売された。X68000、PlayStation 4、Nintendo Switchにも移植された。現在はテクノスジャパンの版権を引き継いだアークシステムワークスが権利を持っている。
- ^ “マイコンソフト”. Arcade Gear. 2015年1月7日閲覧。
- ^ 実際の十両では2004年1月場所以降、14枚28人いる。
- ^ 実際の前頭は、幕内の定員が42人である(2004年1月以降)ので、大関・関脇・小結の6人を除いた36人(東西18枚)が最大人数となる。
- ^ 実際の大相撲で、土俵上でガッツポーズする事は横綱審議委員会などから問題視され、後日に日本相撲協会から処分を受けることがある(例:2009年1月場所での朝青龍)。
- ^ 横綱を倒した時はともかくも、幕内最高優勝力士表彰の時に座布団等を投げ込むのは、違法行為である。座布団の舞参照。
- ^ 実際の取組は、関取では原則15番。力士養成員では原則7番。ただし八番相撲や優勝決定戦もある。
- ^ 実際の大相撲史ではこのような構成になったことはない(1957年の本場所が本ゲームに最も近い構成で、これに春場所が加わっていた)。
- ^ 実際の大相撲でも、負けが続けば横綱審議委員会など外野から引退勧告がなされる。このゲームではそれをよりシビアに取り入れた。
- ^ 実際の大相撲では1965年より部屋別総当たり制が敷かれている。
- ^ a b c d e f g 実際の相撲部屋にはない。
- ^ ひげを伸ばして土俵に上がる事は、実際の大相撲では対戦相手の力士や観客からクレームが付くこともある。実際に黒海は、それでひげとあごひげを剃らざるを得なかった。
- ^ 実際の大相撲では、朝乃若(元前頭筆頭)や日馬富士(第70代横綱)がやっている。
- ^ 実際にゲームの発売の前年(1983年)に放送され、テレビドラマの最高視聴率記録(平均52.6%。最高瞬間視聴率62.9%)をマークするなど大人気となった。
- ^ がぶり寄りが得意な力士としては、実際の大相撲では双葉山、荒勢(元関脇)、琴風(元大関)、琴奨菊(元大関)がいる。
- ^ 春日山部屋は1984年当時、大昇(元前頭筆頭)が第16代春日山として部屋経営していた。
- ^ 実際の大乃国は花籠部屋(1984年当時。後に放駒部屋へ移籍)に所属していた。
- ^ 後の第62代横綱。1984年当時は7月場所を除き(前頭筆頭)、実際に関脇で通していた。
- ^ 実際の大乃国は自身の体重もあって寄り主体の取り口だったが、がぶり寄りと言う程ではなかった。また上手投げも得意としていた。
- ^ 実際の双葉山は立浪部屋所属だったが、現役中に二枚鑑札となり分家独立して1941年5月に「双葉山相撲道場」を創設した。1945年11月場所後に引退し、名称を時津風部屋に変えた。よって、双葉山自身が創設した相撲部屋である。
- ^ 実際の双葉山も得意にしていた技だった。
- ^ 1984年当時は1年を通して大関の地位を守った。
- ^ 1984年当時の四股名は本名の「保志」。1984年当時の番付は関脇〜前頭3枚目まで変動した。
- ^ 1984年当時は1年を通して前頭だった。
- ^ 1984年当時は関脇と前頭の往復だった。
- ^ 1984年当時は3月場所まで前頭だった。その後十両に落ちた後は1986年9月場所後に引退するまで二度と幕内に戻る事は出来なかった。
- ^ 1984年1月場所のみ前頭。その後十両に落ち、ゲーム発売直前の5月場所終了後に引退した。
- ^ ゲーム発売前の1979年1月場所限りで引退していた。また、その四股名から「かい(痒い)けつ(尻)」とも言われたことがある。
- 1 出世大相撲とは
- 2 出世大相撲の概要
- 3 ゲームの内容
- 4 出場力士
- 5 移植版
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