共和国運動を結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 16:19 UTC 版)
「ブルーノ・メグレ」の記事における「共和国運動を結成」の解説
メグレは1998年に国民戦線の乗っ取りを試みたが、ル・ペン党首との権力闘争に敗れて同年の12月13日に除名された。 メグレは自らを支持する国民戦線の党員・幹部を引き連れて、1999年1月23日-25日に党大会を開催し、国民戦線-国民運動を結党し、メグレが党首に就任した。しかし、5月11日にパリ大審裁判所はメグレ派が 国民戦線という党名とマークを使用することを禁止した。 1999年欧州議会議員選挙(6月13日、投票)にメグレ派は候補者を擁立したが、フランス全土で57万8774票(3.28%)を得るにとどまり、議席は一つも獲得できず、敗退に終わった。1999年10月2日に党大会を開き、党名を共和国運動に変更した。 2002年フランス大統領選挙にメグレが出馬したものの、66万7026票(2.34%)を得ただけで惨敗した。2002年国民議会議員選挙(6月9日、16日、投票)では577の小選挙区のうち571選挙区に党公認候補を擁立したが、フランス全土で27万6376票(1.1%)を得ただけで当選者はゼロだった。 2006年12月20日にメグレはル・ペン党首と会談して、2007年フランス大統領選挙で共和国運動がル・ペン候補を支持することで合意した。 2007年国民議会議員選挙(6月10日、17日、投票)では「反移民・反イスラム化・反治安悪化」をスローガンにして379名の党公認候補を擁立したが、当選者はゼロだった。
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