八王子空襲
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八王子空襲(はちおうじくうしゅう)は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月2日未明にアメリカ軍が東京都八王子市と周辺の町村に対して行った空襲である。八王子大空襲(はちおうじだいくうしゅう)とも呼ばれる[1]。B-29の焼夷弾攻撃により市街地の8割が焼失し、約450名が死亡した[2]。
- ^ 八王子空襲を記録する会の著書『盆地は火の海―八王子大空襲体験記録』全3巻等
- ^ 狙われた中央本線「湯の花トンネル」列車襲撃 9歳の乗客が見た景色「死体が積んであった」 襲撃後の戦闘機“新映像”も【news23】 TBS NEWS DIG Powered by JNN、2023.8.16
- ^ 由木村にも空襲被害があった!下柚木町会
- ^ “命の尊さと平和を訴え「ランドセル地蔵」上演”. 品川区. 2011年7月25日閲覧。
- ^ 『八王子の空襲と戦災の記録(資料)』八王子市教育委員会、1985年。
- ^ a b 『八王子の空襲と戦災の記録(総説)』八王子市教育委員会、1985年。
- ^ 資料によって異なり消防庁調査による『東京戦災誌』では死者60人、負傷者78人、昭和60年八王子市郷土資料館編集の『八王子の空襲と戦災の記録』では473人となっている。ここでは一番発行が新しい八王子市教育委員会編集の『八王子空襲』の人数としている。
- ^ 小林ひろゆき 市議会一般質問
- ^ 八王子辞典の会『八王子辞典』かたくら書店、2001年。ISBN 4-906237-78-9。
- ^ 尚、このうち「長岡」という文字は無いが、これは上の写真の「高岡」と誤記されているものである可能性がある。
- 1 八王子空襲とは
- 2 八王子空襲の概要
- 3 慰霊
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