優勝旗の保持が7年に渡った学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:56 UTC 版)
「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「優勝旗の保持が7年に渡った学校」の解説
1941年(第27回大会)が戦時体制による交通制限実施により中止となり、以降1946年(第28回大会)が行われるまで5年間、太平洋戦争などにより空白の時代を迎えていた。しかしこれによって和歌山県立海草中学校が6年間も優勝旗を保持することとなってしまったが、実は中止になった第27回で3連覇の期待がかけられていた。海草中は1939年(第25回大会)を制し、翌1940年(第26回大会)でも連覇。中止になった時点で2年間保持していた。そのため優勝旗の保持が7年にも渡ったのである。 戦後初の大会である1946年(第28回大会)での海草中の成績だが紀和大会で敗退し結果入場行進は主将一人となった(※その大会の代表校は和歌山県立和歌山中学校であった)。 2020年(第102回大会)が新型コロナウイルス感染症の流行拡大により中止になった際は優勝旗返還式が実施されたため、前回大会の優勝校である履正社高等学校が優勝旗を2年以上保持することはなかった。
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